第33番 雪渓寺



2009年1月18日更新

第33番 雪渓寺 (せっけいじ)
2008年11月22日巡礼
第33番 雪渓寺は、第32番 禅師峰寺から浦戸湾を渡ってすぐの場所にあります。
今は、浦戸大橋を渡れば、間近な距離ですが、昔はどうしていたのでしょう。
舟で渡ったのか、それとも高知市内を大回りしたのでしょうか?
そう感じてしまう程、浦戸大橋経由だとすぐに着きます。
さして大きなお寺ではありません。

ただ、境内のあるお墓に興味惹かれました。
案内看板を見て知ったのですが、長宗我部信親のお墓があるのです。
長宗我部信親は、四国を席巻した戦国大名 長宗我部元親の長男で豊臣秀吉の九州攻めに加わり、総大将だった仙石秀久のムチャな戸次川(へつぎがわ)渡河作戦の犠牲になって戦死した青年武将です。
司馬遼太郎氏の小説『夏草の賦』では魅力的な青年として描かれていて、彼の恋話でほのぼのしたのを思い出しました。
(司馬遼太郎さんの話だからどこまで本当なのかは解りかねますが)
ただその戦死が多くの人の悲しみを誘ったのは史実の様なので、誰からも好かれる好青年だったのは間違いないのでしょう。

境内で柑橘を売っていたのですが、そこに『水晶文旦』の文字が

「あっ、高知出身の先輩が言っていた文旦だ!」

売っているおじさんに聞くとハウス栽培されている品種で、普通の文旦に比べ、皮が薄く、ジューシーなのだそうです。

値段は一つ600円!

高っ!


結局、高価だけど、土産として2個買いました。
お味のほうは、

「おっ!美味い!」

さすが値段だけの事はありました。

    

    

左より 山門、本堂、大師堂

  

左より 長宗我部信親公の墓、境内の売店


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